Green Fanboy's Meeting in LwMil vol2

10/27日28日に開催されるLiving with Military vol2にて

初期アフ(2001年~2003年)のTF-Green合わせを行います


Living with Militaryについて↓


デルタファンボーイの皆さまは勿論
ご興味のある方はぜひお気軽にご参加ください!





せっかくの2日間イベントなので、3回に分けた合わせを企画しています

以下の内容をご確認のうえ、ご参加いただける方は、以下のツイプラからご表明頂くか、
当ブログ左メニューの「ブログオーナーへメッセージ」からご連絡いただければ表明お受けいたします。
参加表明用ツイプラ

※Living with Military自体への参加申し込みは、本合わせへの参加連絡とは別途必要になります。
  Living with Militaryへの参加申し込みはこちらからお願い致します

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・1日目の部  : 長距離偵察あわせ(トラボラの戦いのイメージ)
 開催時刻:10/27 14:00~15:00前後
 ドレスコード:北部同盟にブレンドインしつつ山岳地域への数日間の陸路偵察(徒歩侵入)...な雰囲気で

 アフガンの現地勢力に混じっての山岳踏破とHVT追跡/空爆誘導ということで
 カミースやパトゥ(アフガンマント)を羽織るようなUnknownOperator気味なものが楽しいと思います



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・キャンプの部 : 山岳潜入あわせ(アナコンダ作戦のAFOみたいなもの)
 開催時刻:10/27 20:00~21:00前後
 ドレスコード:山岳地域への陸路偵察(徒歩orATV)...な雰囲気で
 
 昼間は潜伏地点から航空攻撃誘導、夕方~夜間は移動と偵察ということで
 山岳装備+夜間装備(ナイトカモ/アウトドアジャケット等)が似合いそうです
 狙撃支援用としてバレット等の撮影用道具があると楽しいかもしれません



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・2日目の部  : お好みの初期アフデルタ合わせ
 開催時刻:10/28 13:00~14:00前後
 ドレスコード:初期アフみたいな雰囲気があればなんでもOKです

 本当に軽い合わせになります
 合わせといってもコミュニケーションと集合写真と
 あとは皆さん個別で好きにシチュエーション組んで撮影いただくのも大歓迎です
 CQBセットアップとか所属秘匿セットアップとかも面白いですよね




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※上記内容紹介で使用している画像はすべてただの雰囲気共有目的としてお考えください


という感じで企画しておりますが、ベースラインは
「2001年~2003年にアフガニスタンで活動していたデルタフォースをテーマとする装備」
とさせていただきます

ロングガンがM4、ショートガンが1911、ナイロンはAWSとかParacleteとかBHIとか...のイメージです

備忘録的なものですが2000年代初頭のデルタがらみの参照用記事も作ってみましたのでよろしければどうぞ...

その他、もし「この装備、合わせに使って大丈夫??」といったものが御座いましたら
当ブログ左メニューに御座います「ブログオーナーへメッセージ」からご連絡ください

とはいえ
デルタファンのお気軽な交流の場くらいに考えておりますので
「考証パーフェクトな装備オンリー」といった縛りは一切設けません

「完全考証セットアップ」はもちろん歓迎ですし
「それっぽいセットアップ」「雰囲気セットアップ」大歓迎です




最後に、改めてではありますが

大前提としてゆるーくやっていく所存です

是非ぜひお気軽スタイルでのご参加をお願いします

  


2018年09月17日 Posted by Hobbit  at 22:14Comments(0)GFM

タスクフォース ソード/ 11


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Wikipediaとかそのへんで読んだ内容を日本語でメモ代わりにまとめています
ディスインフォメーションの精査などはほぼやってませんので
信頼性の低いものとして眺める程度にしてください
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◆Task Force SWORD/11:
タスクフォースソード、のちにタスクフォース11と改名
2001年10月初旬にJSOC主導で編成されたタスクフォースのひとつであり
上位のタスクフォースCJSOTF(Combined Joint Special Operations Task Force)を構成する3つのTFのひとつ
(CJSOTFはTF Dagger, TF K-bar, TF Swordの3つで構成されている)


◆主任務:
BlackSOFとしてアフガンにおけるタリバンおよびアルカイダ幹部の排除


◆戦力:
 ・主力
   1stSFOD-DELTAの一個中隊(暗号名TF Green)
   DEVGRUの一個中隊(暗号名TF Blue)

 ・増強戦力
   英SBS、カナダJTF2などが各ユニットに増援

 ・サポート
   75thRangerからのprotection team(暗号名TF Red)
   ISAの諜報班(暗号名TF Orange)
   160thSOARの航空機ユニット(暗号名TF Brown)


◆実績と参考メモへのリンク:
 ・オブジェクティブ・ゲッコー (2001年 10月19日)
 ・トラボラの戦い (2001年 12月6日~17日)
 ・アナコンダ作戦 (2002年 3月~18日)


  


2018年09月17日 Posted by Hobbit  at 22:00Comments(0)NOTES

アナコンダ作戦(2002年)


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Wikipediaとかそのへんで読んだ内容を日本語でメモ代わりにまとめています
ディスインフォメーションの精査などはほぼやってませんので
信頼性の低いものとして眺める程度にしてください
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Operation Anaconda
 2002年3月にシャヒコト渓谷のタクルガル山頂を中心に行われた連合軍vsタリバンの戦闘であり、連合軍初の大規模作戦となった
当初シャヒコト渓谷のタリバン勢力は150~200名程度と予測されていたが、
実際は渓谷内の洞窟やバンカーに500名~1000名程度が配置されていたとされる

アナコンダ作戦の全期間において、TF Bowie(FBI,NSA,CIAなどの情報要員に各国SOFの連絡要員を加えて構成されたTF)に組み込まれていたAFO(AdvancedForceOpetation)チームが関与していた。AFOチームは全45名で構成された偵察部隊で、主要メンバーとしてDELTA FORCEのRECCE隊員が充てられたほか、DEVGRUから選抜されたSEAL数名が増援として加わり、75thRangerのRRDから数名とISAの技術要員数名が参加していた。AFOチームは徒歩移動もしくはATV移動による長距離偵察を行い、CIAとの共同作戦、各地の事前偵察などを担当した他、TF11への間接支援のほか、JSOCへの情報提供や極小規模チーム(2~3人)でのパキスタン越境偵察にも従事したとされる。

以下、アナコンダ作戦に参加したタスクフォースおよびその他ユニット
・TF-Hammer
  TF-DaggerのODAチーム(5thSFG)に率いられたアフガン国軍で構成
  敵勢力のパキスタン逃亡を防止するため、国境に続く渓谷北部からの侵攻を担当
  侵入はCH-47で行い、AH-64が援護を行う
・TF-Anvil
  TF Rakkasan(101空挺師団、11空挺師団、第10山岳師団)を中核とする構成
  TF Hammerに追われる敵戦力の逃亡先に展開され、敵戦力の殲滅を担当
・TF-Commando
  第10山岳師団、第31歩兵連隊、プリンセスパトリシア・カナダ軽歩兵隊で構成
・TF-64
  オーストラリアSASの1個中隊で構成
  TF-K-barと共に渓谷外周の峰に展開し、敵の渓谷内からの逃亡防止を担当
・TF-K-bar
  3rdSFGのODAチームで構成
  TF-64と共に渓谷外周の峰に展開し、敵の渓谷内からの逃亡防止を担当
・TF-Bowie
  AFOチーム数個で構成
・TF-SWORD/11
  このときにはコールサインMako30, 31, 21の3個チームとTF-Blue(DEVGRU)で構成されていた
  ※TF11の中核戦力にはDELTAとDEVGRUが半年交代で配備されたとのこと

TF-64およびTF-K-barには増強戦力として以下の部隊から戦力が充てられた。
  SEAL Team2, 3, 8
  カナダJTF2
  ドイツKSK
  ノルウエーFSK, MJK
  ニュージランドSAS
  オランダ特殊部隊
  デンマークJagerkorpset

上記のほか、支援戦力として以下のユニットが参加した。
  159th航空連隊
  75thRanger
  JSOC
  CIA SpecialActivityDivision
  英海兵隊

作戦中の支援として、米空軍の攻撃機チームがCASを行い、その他支援を米海軍の飛行チームおよびフランス軍のミラージュ戦闘機が担当した。



-2002年2月ごろ
 TF Bowieの情報解析要員がシャヒコト渓谷低地のパキスタン側部族地域沿いにトラボラを生き延びたアルカイダ勢力が集結している兆候をつかむ。同時期、シャヒコトで活動するAFOチームおよびCIA諜報員も、各々の偵察活動によりタリバンおよびアルカイダの勢力の集結を感知。情報を集積/解析した結果、150名~200名のタリバンおよびアルカイダ戦闘員の存在が渓谷内で越冬しており、春に反攻作戦を計画しているらしいことが判明。ISAをはじめとする情報技術者のシギントにより、渓谷内に複数のHVTが潜伏していることを感知。パキスタン国境側から侵攻して敵の越境を防止し、逃走ルート上に巨大な戦力を投入して殲滅する作戦(アナコンダ作戦)が立案された。敵勢力に連合軍勢力(AFOチーム)の潜入を察知されることを防ぐため、作戦初期の段階ではヘリを投入することが禁止された。AFOチームは改造したPoralis ATVを使用し、渓谷内へ侵入するルートおよび渓谷周辺を通行するルートの偵察を実施した。また、デルタの偵察隊員で構成されたAFOチームIndia(3名編成)およびJuliet(5名編成)が渓谷の高地に上り、現地の環境情報の偵察を行った。

-2002年2月28日
 悪天候の夜間を狙い、AFO-JulietがISAの情報要員を伴って渓谷北部からATVで潜入し、渓谷東部の潜伏地点に到達。同時にAFO-IndiaがISAオペレーターを伴って徒歩で渓谷に潜入、渓谷南西部の潜伏地点"Fish Hook"に到達。TF-11のMako31(DEVGRU偵察中隊の3名、海軍EOD、空軍CCTで構成)も徒歩で渓谷南端の峰に潜入し、観測地点"The Finger"を設置。この3チームは敵の兵力を偵察し、対空兵器を無力化してTF Rakkasansの投入地点を確保し、通常戦力の投入/撤収中の航空支援を行えるようにすることが任務だった。同タイミングでTF-K-barおよびTF-64も現地に投入され、敵の逃亡に使用されると想定された渓谷外周部のルート(rat line)の監視を開始した

-2002年3月1日
深夜
 Mako31がTF Rakkasan投入予定時刻前に観測点を確保すべく行動していたところ、観測点予定地近くにDShK重機関銃が構築されているのを発見。Rakkasanを輸送してくるチヌーク到着前に陣地を破壊することを決定。アンブッシュを実施するも反攻勢力のウズベク人戦闘員に発見され戦闘になる。外国人戦闘員7名中5名を殺害したところでPKMを装備した別の戦闘員が増援として現れる。Mako31は無線封止を解除し、AC130に105mmの砲撃を要請して陣地を破壊する。

-2002年3月2日
未明
 TF Hammerの車両隊がGardezの基地を出発しシャヒコト渓谷への侵攻を開始。アフガン軍の装備が貧弱なとこに加え、トラック一台が横転事故を起こしアフガン軍数名が負傷。アフガン国軍の司令官がトラックのヘッドライトを点灯するように命令し、奇襲の要素が失われてしまう。兵員の輸送に時間を食ってしまったため、3rdSFGのチームが本体と別れて観測地点へ先行する。上空で監視と火力支援を行っていたAC130(コールサインgrim)がナビゲーションシステムの不調によりこの先行チームを敵と識別。105mmの友軍誤射により先行チームのODA指揮官が死亡、アフガン軍数名とODA隊員数名が負傷する。

06:15
 TF Hammer本隊が攻撃発起位置に到達、敵陣地を55分にわたり空爆したのちに攻撃を行う予定だった。爆撃担当のB-1B爆撃機の爆弾槽でジャムが発生し、投下できた爆弾は6発のみ。後続のB-1Bは爆撃許可待ちのため爆撃できず、同行していたF15Eも攻撃停止命令を受けたために対地攻撃を受け取れなかった。(この攻撃停止命令はAC-130の友軍誤射への射撃停止命令が間違ってF15Eに伝わったものだと思われる)。航空支援が欠落したため、アフガン軍の乗るトラックが迫撃砲の攻撃を受け、40名以上が死傷。この時点で、小火器および迫撃砲による計画的な攻撃を受け、アルカイダ側が攻撃を予測して防御態勢を敷いていたことが明らかになる。上記の事由により、TF Hammerの侵攻は渓谷の入り口で停止してしまう。

06:30
 Rakkasansと山岳兵部隊がCH47で到着、それぞれ渓谷の東側の峰と最北端の峰に配置され、敵の逃亡のブロッキングを開始。渓谷内の抵抗勢力はTF Hammerの渓谷への侵入に気を取られていた、また外国人戦闘員とのコミュニケーションが不足していたため、Rakkasansを搭載したCH47の飛来を予期できず、チヌークは一切被弾せずに兵力の投入に成功した。HLZからのチヌーク離陸直後に銃撃が始まり、迫撃砲の砲撃が激しく、Rakkasansは着陸地点にくぎ付けとなり、一日中猛烈な銃撃にさらされた。上空待機していたAH-64アパッチが迫撃砲チームを制圧しようとしたが、かなり多数のRPGが発射され、1機が被弾し電気系統が全損した。司令部は抵抗の激しさから渓谷内部の抵抗勢力の予想規模を当初の150~200名から750~1000名に変更、渓谷高地の洞窟に多数が潜んでいるものと修正した。また抵抗勢力はZPU-1対空砲、DshK重機関銃、各種小火器によってRakkasansおよびRakkasansを支援中の航空機を攻撃した。

 第87歩兵連隊第1大隊は最南端のLZに膠着したが、激しい銃撃を受けた。渓谷の底に降着した部隊が北に向かって50メートルほどパトロールを行ったところ、東側の低地からRPGによる攻撃を受けた。アメリカ軍およびオーストラリア軍の10名ほどのすぐ傍に着弾したが泥と雪のせいで不発となった。直後からDshKによる激しい銃撃が開始され、谷底の兵士たちはその付近で唯一の遮蔽物(のちにHell's halfpipeと呼ばれる)にくぎ付けにされた。予想を上回る激しい抵抗に遭い、全部で8機が降着予定だったチヌークのうち着陸して兵力を展開できたのはわずか2機のみだった。この戦闘中、Staff Sergeant Andrzej RopelとSpecialist William Geraciの2名(部隊の長距離監視チームから転属してきたばかりだった)がチームを率いて銃撃の中をHalfpipe上部の尾根に取り付いた。Ropelが迫撃砲の攻撃を誘導している観測主を射殺したため、彼のチームは周囲の地形を偵察することができるようになった。この行動によりRopelはブロンズスターを受賞している。抵抗勢力側の間接射撃能力が非常に限定されていたことから、この付近の迫撃砲は1基のみであることが予想された。この部隊への航空支援として第159航空連隊101飛行隊所属のAH-64アパッチ2機が割り当てられていた。この2機が抵抗勢力側の拠点をいくつか破壊したが、すぐにPRGによる対空攻撃が開始された(この際のRPG弾頭は920mで空中炸裂するように改造されていた)。アパッチは2機とも小火器、RPG、DshKにより被弾し、うち1機は左翼のヘルファイアミサイル発射機の基部を破壊され、コクピット付近にDshKの弾が着弾するなどしたため、基地への帰還を余儀なくされた。

 熾烈な抵抗を受けつつ、この朝のうちにTF Rakkasansは敵の逃走阻止のための陣地を降着点の北側に確保することができた。アパッチが谷底に降着した部隊の援護に回っているあいだ、TF RakkasanとTF Hammerは熾烈な銃撃戦を展開し、AFOはアルカイダ陣地に対する空爆要請を行って各TFの支援を行っていた。AFOチームの懸念として、渓谷中に分散しているAFOチームやその他のSOFチームからの空爆要請よりもRakkasan側のETAC/JTACからの要請のほうが優先権が高かった。オーストラリアSASの通信手Martin "Jock" Wallaceは戦闘中の行動によって表彰されている。抵抗勢力側の迫撃砲が1-87歩兵師団の迫撃砲チームに直撃した際、Wallaceは自分を危険にさらして負傷者全員を岩陰に引っ張り、もう一人のSASR隊員と傷の処置を行った。この1日を通して前日から現地に潜入していた特殊部隊チームとTACPは絶え間なくB-1, B-52, F-15, F-18, F-16からの航空支援を誘導して各TFを支援し、タリバンおよびアルカイダ側に夥しい数の死傷者をもたらしたが、沈黙させるには至らなかった。

 最南端の降着地点に投入された部隊は防御陣地をほぼ失っており、一日中銃撃戦によってくぎ付けにされていたために弾薬もなくなりかけていた。夕暮れ後に回収部隊が投入され、AC-130の援護のなか夕闇に紛れて着陸し撤収を行った。この部隊は負傷者35名を出し、うち2名はペイブホークで負傷者後送されたが、死者は出なかった。



-2002年3月3日~4日(タクルガルの戦い)
3/3 夜
 TF11司令部からDeltaForceのAFO指揮官に大して、アナコンダ作戦に関わっているAFOチームの指揮権をバグラムからガルデズに移動中のTF-BlueのDEVGRUチームに移譲するよう要求が出る。この時点までTF-BlueのSEALsはアナコンダ作戦に深く関わっていなかったが、TF11の指揮官は作戦の実施中に命令変更を行うと同時に、雑な命令でTF-Blueの投入を決め、SEALに戦闘経験を積ませようとした。

3/3 深夜
 TF-BlueのDEVGRUの2個SEAL射撃チーム "Mako30"及び"Mako21"がガルデズに到着し、即座にシャヒコト渓谷に投入されることとなる。TF11の指揮官であるBlador中佐にGregory Trebon准将から「Vic Hyder少佐が指揮するDEVGRUの2個射撃チームをシャヒコト渓谷に投入する」と連絡が入る。Mako21は渓谷北端でAFO-Julietと合流し、Julietに補給を行ってから渓谷東部にあるRakkasansの阻止陣地の上部に潜伏/監視地点を設置する予定だった。Mako30はシャヒコト渓谷南端部にあたるタクルガル山の山頂にシャヒコト渓谷全体を監視する観測地点を確保する計画だった。作戦には夜明けまでにチーム投入を完了しなければならないという時間的制約があったため、Hyder少佐はチームの投入時期を24時間遅らせ翌日の夜間に投入するように要請したが、SOFチームへの支援提供のためにはこのDEVGRUチームの投入が絶対的に必要だったため、翌日を待たず、夜明けまでに急ぎ投入されることになった。タクルガル付近に展開したAFOチームは、タクルガル山頂の東部1400メートルの地点を投入地点にするよう勧告し、Mako30もこれに従い投入地点をタクルガル東部に定めた。

 Mako30およびMako21は160thSOARが運用する2機のMH-47(Razor 03とRazor 04)で投入される予定だった。Razor03および04がSEAL達を乗せて離陸したのち、山頂を爆撃する予定のB-52爆撃機の配備が遅延しているとの連絡が入ったため、結局ガルデズ付近の滑走路に引き返し、着陸待機することになった。その後、2回目の離陸中にLZ予定地への制圧攻撃が遅れていることが報告され、投入計画の遅延が膨らんだ。

3/3 23:23
 Mako30の搭乗するRazor03でエンジントラブルが発生したため、別の2機のMH-47が交代してRazor 03および04を務めることとなる。このトラブルにより、Mako30の山頂東部のLZへの投入時刻が4/4 2:30を超えることが確実となり、夜明けまでに徒歩でLZから山頂に到達することは不可能となった。Blador中佐は「Mako30を夜明けまでに目標に到達させる計画を達成するためにMako30を直接山頂に降ろす」と連絡を受けた。AC-130H(コールサイン"Nail22")が山頂の事前偵察任務を受領し、タクルガル山頂を観察したが、敵の活動の兆候は捉えられなかった。Mako30のチームリーダーは山頂の偵察が行われていた時間が短かったために偵察結果に疑問を持ち、かつ本当に渓谷内の正しい山頂を偵察したのかを確認できなかったが、AC-130Hの偵察結果を信じる他はなかった。このため、Mako30のSEAL達はタクルガル山頂へ直接投入されることを選択したが、Hyder少佐は標準作戦手順に則り「もし何か敵の活動の兆候が見て取れた場合は即時に任務を中止する」とした。この後、Nail22は他の部隊への援護のために呼び出され、Mako30を乗せたチヌークの到着前にタクルガル山頂上空を離れることになった

3/4 02:45ごろ
 Razor 03 がタクルガル山頂に到着し着陸態勢を取った。チヌークホバリングを始めたとき、パイロットやMako30の隊員達は雪の上にごく最近に人間が活動したものと思われる痕跡を発見した。SEAL達が敵の活動の痕跡があることを司令部に報告していたところで重機関銃とRPGによる攻撃を受けた。RPGの一発がコクピット後部に当たったが不発弾となって機体に挟まり、キャビン内で燃え始めた。重機関銃弾が非装甲の機体を貫通し、2発目のRPGが機体右側のラダーポッドに直撃して電気系統が全損してミニガンやナビゲーションシステムが使用不可になった。チヌークにはさらに2発のRPGが命中し、少なくとも3方向からの激しい射撃が加えられた。特にDShKがある射撃陣地からの射撃が熾烈だった。チヌークは高度を下げ、DShKの射撃からパイロットを保護するような機動を取った。パイロットは乗員に撤収すると伝え、機体を空中に引き戻して離脱しようとしたが、この衝撃でNeil C. Roberts(コールサイン P01)が解放されていた後部傾斜板から転落した。160thSOARの乗員が彼のバックパックを掴んだが機内に引き戻すことはできず、Robertsは雪に覆われたタクルガル山頂に向けて約3メートル落下した。落下直後、彼はIRストロボを起動させて自身の位置のマークを開始した。Razor 03は彼を回収するため即座に山頂に戻ろうとしたが、受けた損傷がかなり酷く正常な機体制御が不可能であり、山頂から7km(11km説あり)離れた渓谷内への緊急着陸を余儀なくされた。

3/4 03:00前後
 司令部は拡大していく戦況に適応するため、各偵察位置にいるAFOチームのものを含めて、各部隊が使用していた衛星通信の周波数の変更を行うことを決定した。この決定はタクルガル山頂に取り残されたRobertsの救助活動を直接強化するためのものだったのだが、戦闘に参加している複数の部隊の通信にかなりの制限を科すことになってしまった。タクルガルの状況を担当していた将校の一人は、計画が変更されるのを防ぐために無線周波数を切り替えた。Mako30に随行していた空軍CCTのJohn A. Chapman技能軍曹はMako21の投入を完了したRazor 04に対してMako30の回収を要求した。Razor 04はRazor 03の不時着地点に降着してMako30を回収し、Robertsを救出するために山頂へ向かった。Razor04の山頂到着予定の1~3分前のタイミングで、山頂に現れた敵の大きなグループを直接攻撃するためにAC-130H(コールサインGrim32)が到着していたが、Razor04の到着間際になってGrim32が攻撃目標の伝達と承認の取得に使用していた無線周波数の変更が通知されてしまった。この結果、Grim32は司令部からの明確な攻撃許可を受信できず、また近隣のAFOチームとの連絡も不通になってしまったため、Grim32は山頂への攻撃を加えられず、Razor4の到着時の敵勢力はRazor03の侵入時と大して変わらないままとなってしまった

 Mako30はタクルガル周辺に配置されていたAFOチームと短波無線による交信に成功し、AFOチームが敵の活動状況をリアルタイムでMako30へ伝達した。Razor04は山頂付近まで到達するとすぐさまDShKの対空砲火を浴びたものの、Mako30を降下させ、比較的無傷で作戦エリアから離脱した。山頂のアルカイダ戦闘員たちは夜明け前の闇の中でRazor04から降下したMako30に気づいていなかった。Mako30は2名ずつのペアに分かれたうえで無線封止を行うことで敵に動向を隠しつつ前進し、発見される前に攻撃に適した位置を見つけようとしていた。そのうちの1チームが隠蔽されたアルカイダのバンカーから発見され戦闘になり、PKM機関銃からの射撃を含む3方向からの射撃で釘付けにされてしまい、SEAL2名が負傷した。直後にChapman技能軍曹が単独で反撃し、前進して援護射撃を行ったことにより、SEAL達は遮蔽物に退避して敵の包囲を脱することができたが、Chapman技能軍曹も複数被弾していた。この戦闘で少なくとも3名のアルカイダ戦闘員を殺害したが、Mako30も損害を受けたため山頂付近からの後退を余儀なくされた。この際、Mako30は誤認識によりChapman技能軍曹はKIAしたものと認識されていたが、実際には彼は負傷しつつ生存しており、単独で複数の敵戦闘員と近接した位置にいた。上空にいたプレデターの映像からは彼が少なくとも2名の敵戦闘員を殺害(1名は射殺し、もう1名は格闘で殺害)するところが確認できた。

3/4 03:45
 Grim32の援護によって山頂から後退したMako30はバグラムで待機していたQRFの出動を要請した。QRFは75thRangerの第1大隊を主力に構成されており、Nate Self大尉が率いていた。このQRFチームは19名のRanger隊員、空軍TACPおよび3名のSTS隊員(JPおよびCCT)からなる2個のチョークで構成されており、2機のMH-47(Razor01 および Razor02)で投入された。呼び出された時点ではQRFチームは任務内容が伝えられていなかったた。山頂への飛行中、Rangerの指揮官は「任務内容は山頂に着陸し、接敵しているSEALのスナイパーチームを回収すること」と伝えられたが、正確な情報ではなかった。この際、Mako30を援護していたGrim32が山頂上空を飛行していたが、空軍の規定ではAC-130は夜明け以降に敵対空域に留まることができない(湾岸戦争時にKhafjiでAC-130が日中にSAMで撃墜されたため制定された)。積み重なる通信不調により、Grim32のパイロットはRazor01が山頂に接近していることに気づいていなかったことも重なり、Grim32はRazor01の山頂到着前に現場を離れてしまった。加えて、不幸にもこのRazor 01はバグラムのHQやAFOチームと交信できる衛星通信設備を搭載しておらず、パイロットは山頂に設置された敵の対空陣地のことを知らされていなかった。このため、QRFチョーク1を乗せたRazor01は危険な山頂のLZ(33°20′34″N 69°12′49″E)に直接QRFの投入を試みてしまう。結果、Razor 01とQRFチョーク1はメンバーの誰も正確な現地の状況を知ることなく、最初にMako30が受けたものと同様の待ち伏せ攻撃を受けた。

3/4 06:10ごろ
 Nate Self大尉の指揮するRazor01が山頂のLZに接近を始めるとすぐにRPGやDShKによる攻撃を受け、右ドアのミニガンについていたPhillip Svitak軍曹が小火器による攻撃を受けて戦死した。続いてRPGが直撃し右エンジンが損傷、その場への緊急着陸を余儀なくされる。Ranger達とSTSチームは即座に機外に展開して応戦を開始したが、Matt Commons一等兵(死後伍長に昇格)、Brad Crose軍曹、Marc Anderson特技兵が射殺された。生き残りのQRFチョーク1たちは小さな丘を遮蔽物に使って展開し、激しい銃撃戦を開始した。Self大尉は敵の射撃線を制圧し、山頂方向に向けて交互前進で反撃を開始することを決定したが、20メートルほど前進したところで重火器による攻撃を受け、遮蔽物への退避を余儀なくされる。

3/4 06:25ごろ
 Razor01の山頂投入に備えてガルデズで待機状態を取っていたRazor02がQRFチョーク2と及びHyder少佐を乗せて現場へ急行する間、山頂付近のMako30およびQRFチョーク1に対して、上空に展開した空軍機が機銃掃射による援護を提供していた。しかしMako30が山頂の北100メートル以内に位置しており、墜落したRazor 01は山頂の南に100メートルもない位置にいたため、空軍機には機銃掃射しか支援の手段がなかった。Razor02はタクルガルの東部800メートルの位置(山頂からは610メートルほど低い位置)にQRFチョーク2のRanger達10名を投入した。Hyder少佐はMako30(21?)を支援する必要性を認識していた。この時点でMako30(21?)は2名死亡、2名負傷しており、負傷者の1人は自力歩行が不可能だった。しかし空軍機による航空支援の威力を最大限に発揮するためには、山頂付近の友軍部隊を安全圏まで後退させる必要があるのは明らかだった。このため、Hyder少佐はチョーク2のリーダーに直接指示を与え、チョーク2単独で山を登ってMako30(21?)と合流し、支援して山頂近辺から遠ざけるように指示した。QRFチョーク2は山を登り始めたが、迫撃砲による攻撃を受けつつの登山であったことと、空気の薄い標高であったために難度が高く、目標地点までの登坂に2時間を要した。そのほとんどが1メートルほど積もった雪に埋もれた45~70度ほどの斜面であり、重量のある武器や装備を持ちつつの登坂だった。

3/4 10:30ごろ
 山頂から後退していたMako30は到着したQRFチョーク2からの支援と空軍機からの近接航空支援を受けつつ展開を開始した。QRFチョーク1の隊員たちは熾烈な銃撃戦を行い、敵までまずか50メートルほどの位置に接近していたが、PKMの掃射に足止めされていた。チョーク1のRanger達はF-15EやF-16Cからの機銃掃射を要請し、再度攻撃を加える前に出来るだけ敵を制圧しようとしていた。しかしこの航空支援はRanger達と敵との距離が非常に近いため、DangerCloseエリアでの出来る限りの支援となっていた。Ranger指揮官は、彼らが積もった落葉だと思っていたものが、敵によって偽装と補強が施されたバンカーであることに気づいた。Ranger達はそのバンカー群や他の陣地を掃討できるだけの人員を持っていなかったため、一時的に後退することを決めた。チョーク1に追随していた空軍CCTは、チョーク2達が到着するまでアルカイダ戦闘員たちをバンカー内に留めておくために空爆支援を呼び続けた。CCTは空爆の安全圏に出てから複数の空爆を山頂に誘導し、MQ-1プレデターからのヘルファイア攻撃も要請(これがプレデターに搭載されたヘルファイアの初の実戦使用例となる)した。このプレデターから発射された2発のヘルファイアのうちの1発がバンカーに直撃して崩落させた。

 Razor02が投入したQRFチョーク2のRanger達10名が到着し、QRFチームは敵の位置への攻撃準備を始めた。CCTがバンカー群の上に最後の空爆を誘導し、Rangerの機関銃2丁が制圧射撃を行う中、7名のRanger隊員が突撃を開始した。Ranger達は膝まで積もった雪のなかで可能な限り素早く攻撃し、バンカーに射撃を加えて手榴弾を投げ込んでいった。Ranger達は数分以内に丘を制圧し、複数名のアルカイダ戦闘員を殺害した。これにより米軍勢力はタクルガル山頂に拠点を構築することができた。

3/4 正午ごろ
 山頂付近のアルカイダ残存勢力が反攻に転じ、空軍JPのJason D. Cunningham上等空兵が負傷した。他のヘリが撃墜されるリスクを避けるため、Cunningham上等空兵は昼間のうちに負傷者後送されることを拒否した。Mako30およびHyder少佐たちは負傷者を抱えながら山を下り始めた。Mako21は付近の敵勢力からの脅威と戦い、負傷者の低体温症やショック症状とも戦いつつ、75センチほど雪の積もった山地を抜けて、MH-47に適した着陸地点を見つけた。SEAL達は防御陣地を固め、負傷者を温めようとしつつ、暗くなってからの回収を試みた。付近にはオーストラリアSASRと彼らに随行していた米空軍CCTのJim Hotalingが潜入していた。彼らは最初のチヌーク墜落が起きる前に長距離偵察の一環としてこの地域に潜入していた。銃撃戦の間、彼らはアルカイダ側から発見されることなく観測地点に留まり、CCTのJim Hotalingが連合軍による複数の空爆の重要な調整を行っていた。彼の空爆調整によりアルカイダ戦闘員たちは墜落地点に殺到して蹂躙することができなかった。加えて、2名のSASR将校が第10山岳師団と協同して作戦の補助を行った。

 この間、Rakkasansの第2大隊がシャヒコト渓谷東端に空中機動により投入され、アパッチの援護のもとで即座に渓谷内の高地に向けて攻撃を開始した。またRakkasansの第3大隊も渓谷北端に投入され、既に現地に投入されていた部隊と連携して防御線を構築した。Rakkasans達はアパッチ16機、海兵隊のコブラ攻撃ヘリ5機、A-10A攻撃機数機の援護を受けつつ、洞窟約130個所、バンカー22個所、建造物40個所を念入りに制圧し、ついにシャヒコト渓谷を制圧した。

3/4 20:00ごろ
 QRFチームおよびMako30と21はタクルガルの山頂から撤収した。Chapman技能軍曹とCunningham上等空兵は空軍十字章を受章した。米国およびアフガニスタン政府の公表によると、作戦初期段階の戦闘および救出作戦の戦闘において、タリバンとアルカイダ戦闘員200名ほどを殺害したとしている。

-2002年3月10日
 Bryan Hilferty少佐が声明を出し、「3,4日前には主要な戦闘は終了している」と発表した。米軍は400名の兵士たちを基地へ戻した。

-2002年3月12日
 第10山岳師団が疲弊したRakkasansと交代で投入され、シャヒコト渓谷南端までの制圧を行った。AFOチームはさらにナカ渓谷付近にRECCEチームを展開し、逃走したアルカイダ戦闘員の殲滅を実行したが、何も見つからなかった。この日を境に米軍攻撃機による念入りな爆撃が行われ、米軍とアフガン軍の合同部隊が渓谷を掃討していった。散発的な戦闘は3/18までにすべて終結した

 合計で陸海空軍兵あわせて8名死亡、82名負傷、アフガン軍も複数の民兵が死傷した。米国によるその他の死傷者の推定値はアルカイダ/タリバン戦闘員が500~800名死傷、民間人14名以上が死傷としている。数は未確認ではあるが、ある程度の敵性戦闘員が険しい地形を伝って逃亡したとされている。

-2002年3月17日
 TF11がHVTに関する緊急度の高い情報を入手。アルカイダのHVTが戦闘員とともに車両隊を組んでシャヒコト渓谷からパキスタンに向けて逃走している可能性がある、というもの。プレデターが対象の車両隊を発見し、SUV3台とピックアップトラックと武装した大規模な護衛を確認した。TF11はタクルガル山頂でMako30の指揮を執った隊員を含むDEVGRUオペレーターを中心とする襲撃部隊を組織し、バックアップとしてRangerと協同で車両隊を停止させることにした。オペレーターと割り当てられたCSARチームは3機のMH-47Eに分乗し、Rangerは2機のMH-60Gに乗り込み、早朝にバグラムを離陸した。MH-47EはSEALオペレーターを運搬し、ターゲットに投入した。

 先頭のチヌークが車両隊の前方に着陸し、オペレーターたちがヘリから展開する間にドアガナーがミニガンで車両を停止させ、数名のアルカイダのテロリストを殺害した。2機目のチヌークは車列を飛び越しつつミニガンの掃射を加え、地上に展開したオペレーターたちがさらに発砲を加えた。2機のチヌークが付近の遮蔽物の陰に着陸してオペレーターを展開し、オペレーター達が車両隊全体を射線に収めた。地上に展開したSEALの2チームが敵戦闘員に対して十字砲火を開始し、3機目のチヌークがオペレーターたちの近くに着陸し車両隊の調査を行った。銃撃戦は1分程度で終了し、アルカイダ戦闘員18名のうち16名が死亡した。残りの2名は重傷を負っていたため、応急処置を受けてから拘束された。敵戦闘員はウズベク人、チェチェン人、アフガン人の混成であり、よく武装されていた。オペレーターたちが敵戦闘員から多数の米軍向け装備(アメリカ製サプレッサー、TF11が使用しているのと同様の複数のアメリカ製手榴弾、ドイツ製小型GPS)を回収し、Razor 01の搭乗員へ渡された。

-2002年3月18日
 Tommy Franks大将はアナコンダ作戦の終了を宣言。Franks大将はのちに「作戦は不適格だったが完全に成功した」と評価している。調査報道記者のSeymour Hershはこの公式コメントを以下のように批判している。「実際には、部隊間の衝突や劣悪な軍事計画、回避出来たはずの米兵の死傷に悩まされた挙句、ビンラディンを含むアルカイダのキーパーソンの逃走を許した」



-転落したRobertsおよび山頂で負傷したChapmanについて
 チヌークから落下したRobertsが即死だったのか、敵兵士によって殺害されたのかは分かっていない。Robertsは敵兵士に捕縛され、のちに背後から頭を撃たれた可能性がある。報告によると倒れている1名を囲んでいる8~10名程度の敵戦闘員グループが見られたという。Grim32およびMako30によると、RobertsのIRストロボは動作状態になっていたはずで、中継映像ではIRストロボの周囲を戦闘員が動き回っていたという。この報告の映像による確証は得られていない。

 Frank Hagenbeck少将は戦闘状況をモニターしていたプレデターからの中継映像でRobertsを追跡していたアルカイダ戦闘員を監視しており、後に彼らがRobertsを転落した地点から引きずって連れ去っていったと証言している。別の情報源ではRobertsは転落後1時間近く生存しており、拳銃や手榴弾を使用してアルカイダに多大なダメージを与えたとされている。別情報によると同じプレデターからの映像でライフルのものと思われる小さな発光とその前で倒れる不明瞭な人影が観測されていたとのこと。またQRFの兵士たちの証言によると、敵戦闘員がRobertsの装備を身に着けており彼の物と思われるヘルメットには銃弾を受けたことによる貫通した穴があった、とのことから、彼が頭を撃たれたのは確実と見られている。Andrew Milani大佐(元160thSOAR指揮官)とStephen D. Biddle博士の著書「Pitfalls of Technology: A Case Study of the battle of Takur Ghar」では、このプレデターはRobertsが転落してから90分後に配置されたものであり、プレデターが撮影したものとされている映像はGRIM-32のIRカメラが撮影したものだとしているが、これも同時の指揮官によって確認されていない情報である。プレデターが撮影した映像からは、SEAL達が山頂から後退した際、ChapmanはMako30が考えていたように既に死亡していたのではなく、山頂で生存して戦闘を継続している様子が見られていた。映像では、一人がバンカーに籠って周辺の複数の敵と交戦し、RPGがバンカーに直撃するまで戦闘をしていた様子が映っている。もしこの映像に映っている人物がChapmanなのであれば、彼はRazor 01が山頂に到着するおよそ45秒前まで生存していたことになる。




動画:タクルガル山頂で銃撃戦を繰り広げるMako30とChapman技能軍曹


動画:アナコンダ作戦に参加するRakkasan


動画:タクルガルにQRFとして送られたチームのドキュメンタリー


画像:AFOチームのイメージ画像




  


2018年09月17日 Posted by Hobbit  at 21:55Comments(0)NOTES

トラボラの戦い(2001年)


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Wikipediaとかそのへんで読んだ内容を日本語でメモ代わりにまとめています
ディスインフォメーションの精査などはほぼやってませんので
信頼性の低いものとして眺める程度にしてください
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Battle of Torabora
2001年12月にトラボラの洞窟地帯で実施されたアメリカ主導のタリバン及びQA勢力の掃討作戦


-2001年12月3日
 CIA NCSのチームおよびODA572で構成されたチーム"Jawbreaker"がHELOでジャララバードに投入される

-2001年12月5日
 北部同盟が洞窟の点在する山岳地帯の麓を制圧。ODA572が山岳地帯の北西端に観測拠点を設置し、他SFチームとともに空爆誘導を開始。72時間の空爆を受け、タリバンおよびAQ勢力が山岳の高地の洞窟地帯へ退却、防御態勢を構築。

-2001年12月8日前後
 TF11戦力(デルタA中隊、DEVGRU、24thSTSの隊員ら50名~70名)が車両で現地へ到着し米軍地上部隊へ加わる。SBSのM中隊から2名がデルタにアタッチしていたとのこと。TF11からの戦力が、航空支援を受けつつ、北部同盟勢力と共同で洞窟地帯への侵攻を開始。

-2001年12月11日
 北部同盟勢力がタリバンからの降伏の申し出を受け突如停戦。デルタチームと行動していた北部同盟兵士も停戦。デルタチームは単独で侵攻を試みるも北部同盟兵士がデルタに銃口を向ける。12時間程度の説得の末、北部同盟兵士が侵攻再開に同意し、デルタチームが侵攻を再開する。この12時間のあいだにデルタチームの近傍の洞窟にいたと思われるBinLadenが脱出した疑いがある。

-2001年12月12日~15日
 戦闘が再開するが、ラマダンの月だったため北部同盟兵士は夜になると山岳地帯から撤退してしまい、侵攻遅延の一因となる。SBS隊員12名とUKSF Signal Regiment隊員1名のチーム、および独KSKのチームが米軍SOFを支援し洞窟地帯を襲撃。

-2001年12月15日
 JawbreakerのCIA職員がBinLadenの通信を傍受する。通信内容は山岳域内で戦う彼の信奉者への告辞であったことから、BinLadenおよびタリバンの主戦力がパキスタンの部族地域への脱出に成功したものと思われる。

-2001年12月17日前後
 最後の洞窟が連合軍部隊によって陥落、掃討が完了する。以降1月まで洞窟内の調査が行われるも、OsamaBinLadenの遺体は見つからず。



-侵攻後
 パクティカ州に逃亡したタリバン残党が勢力増強を開始、2002年3月にはおよそ1000人規模に膨れ上がり、これがアナコンダ作戦に繋がる。2002年6月ごろにデルタチームが洞窟地帯に戻り、OsamaBinLadenがいたと思われる洞窟を再捜索するも手掛かりは発見できず。



地図:トラボラ地域の位置



動画:トラボラ地域にてUBLを追跡したデルタチームリーダーへのインタビュー
(米CBS:60MINITES)

  


2018年09月17日 Posted by Hobbit  at 21:55Comments(0)NOTES